コー​​ドでの生活 : Hitoki の インタビュー (黒夢)

kihito
1)Hitokiさん、時間を割いていただきありがとうございます。
チリの新聞によってインタビューされることについてどう思いますか?

  Hitoki : .光栄に思います。また日本ではない地域でのインタビューとのことで言葉の壁に不安を抱いておりますが最後まで宜しくお願い致します。

2)あなたは日本のどの地域で生まれましたか?

  Hitoki :日本の愛知県で生まれ、岐阜県で育ちました。
3)ミュージシャンとしての訓練は、あなた自身専門的にしましたか?また、楽器の演奏は習いましたか?
  Hitoki :練習しましたが誰かに習ったことはありません。楽器屋さんでスケールを教えてもらったのみです。

 

4)ミュージシャンになろうと思ったきっかけ、影響を与えた人は誰ですか?

  Hitoki :きっかけはsus4というバンドを見たのがきっかけで間宮馨(Kaoru Mamiya)に憧れました。
SUS4
5)あなたの最初のバンド、狂犬病について話していただけますか?メンバーは誰でしたか?デモテープやアルバムを出しましか?
 Hitoki :メンバーは高校の同級生です。アルバムやデモテープは作っていません。コピーバンドです。
主に日本のバンド ラフィンノーズというバンドのコピーをドラマーとして演奏していました。
LAUGHIN’NOSE – LAUGHIN’ROLL
6)狂犬病の素晴らしいベース奏者と認識されていたにもかかわらず、私はドラマーとしてのあなたのキャリアから始めました。
あなたの現在と初期の違いについて話していただけますか?
  Hitoki :ベーシストとして始まったのはGARNETというばんどからです。
7)sus4バンドの前か後のKiyoharuについて知っていますか?
会ったことは?
  Hitoki :彼がやっていたバンドは知り合ってから知るようになりました。会った事はありませんでした。
8)ガーネットバンドでのあなたの役割はなんでしたか?
ガーネットがくろゆめとして知られる最初の部分だと考えますか?
 Hitoki :.GARNETではベーシストとしてプレイしました。GARNETは僕のベースプレイヤーとしての始まりではありますが、黒夢としられる最初か?と聞かれたら違うと思います。
GARNET1
9)くろゆめの名前の起源は何ですか?
 Hitoki :夢は無いというのが始まりで、黒夢という曲が始まりです。
10)彼の音楽が暗かった初期、それらの年はより旋律的に聴こえ始めていました。あなたはこのサウンドをどのように感じましたか?
 Hitoki :とても素晴らしいと思いながら演奏してました。なるべく自身が聞いた事の無い音楽を目指しました。
11)黒夢とはコンセプチュアルなバンドでしたか?または、あなたはそのバンドにおいてドラマティックな役割をになっていましたか?
 Hitoki :黒夢は時代毎にコンセプトが変化していきました。
僕はその変化を楽しんでみたり戸惑ってみたりしていました。
僕はそんな中、エンターテイメントとしてというよりプレイヤーとしての意識が高かったと思います。
12)最も極端で美的なステージにおけるくろゆめがShinと呼ばれたミュージシャンからの離脱と同時に終わったとき、それは、あなたと彼との関係でしたか?彼らがShinとあったとして。
 Hitoki :Shinはとても自由な人でした。今も変わらず自由に生きていると思います。そんな彼が大好きでした。
13)その時間に、あなたのお気に入りの曲、または共鳴する曲は何ですか?
 Hitoki :その時々に出来た曲がすべてお気に入りでした。
14)くろゆめの歴史を通して全ての音楽が変化することは、あなたにとって似ていましたか?
  Answer.黒夢の音楽が変化していくのはとても刺激的でした。そしてそれがまた楽しかったです。

15)あなたのソロのプロジェクトのアイデアはどのようにしてうまれましたか?あなたのソロのスタッフのレーベルリリースの下で?

 Hitoki :ソロに関して、やりたい事をやりたいときにやる。それだけです。レーベルなどもその都度関われる方々と話を進めていった結果です。

16)我々は、くろゆめがHitokiの健康問題のために長い休止を経験したという事を知っています。関係する他の要因(例えばインスピレーションの不足)があったとあなたは思いますか?
あなたは、休止の間接触していましたか?

 Hitoki :休止の間、接触は一切有りません。
17)あなたが他の90年代のアーティスト(例えばLaputaのIzamやAki)のためのサポートメンバーとしてコラボレーションしたという我々の知識があります。
音楽のプロジェクトにふたつの急進的な異なる世界を持ってくることは、あなたにとってどのようでしたか?
 Hitoki :とても刺激的でした。いまでもそういったサポートメンバーとして活動したいと考えてます。
18)・・・とのコラボレーションはどのようでしたか?始まりは?
 Hitoki :プレイヤーとして色んな場所でいろんな方々とセッションしたいので音を出して気に入ってくれたので始まりました。
19) super drop babiesとの再度のコラボレーションについてどのように感じましたか?
我々の読者のひとりが、もしそのバンドがまだ活動中かあなたが知っているかどうかとたずねています。
 Hitoki : .super drop babiesは現在活動してません。この先も無いと思います。活動については久しぶりに損得を考えずに楽しみたい一心で始めました。
20)我々は、あたなが大塚愛と2004年にコラボレーションしたことを知っています。
どのようにふたつのとても異なるアーティストが共に活動できるのか、我々は不思議に思います。
 Hitoki : プレイヤーとして呼ばれたのでセッションしたのです。僕の考え方では演奏をするのにそんなにこだわりを必要とはしていません。

 

20)2004年にあなたが大塚愛とコラボレーションしたことを理解していますが、そのように異なるふたりのアーティストが共に活動できることを不思議に思いますが、あなたの見解は?

Ai otsuka – love jam

 Hitoki : 僕は自身をアーティストと思っておりません。プレイヤーだと認識をしております。なのでオファーがあってお互いの利害が一致すれば僕はセッションをしに行くだけです。

 21)dummy corporationとの経験はどのようでしたか?
 Hitoki : Dummy’s Corporation に関しては、とにかく自分たちがやった事の無いコンセプトでやってみようというのが始まりです。
22)あなたの全ての経験は、インディペンデントのレーベルとメジャーなレーベルという異なるレーベルの間で活動することを適切であり、または重要と感じていますか?
 Hitoki : 現在、メジャーであろうがインディペンデントであろうが関係は無いと思いますが、たくさんのスタッフと一緒に仕事をするメジャーレーベルは刺激が有ると思います。
23)音楽の世界で活動し続けるためにすることは?
Hitoki : 活動を続けるには出会いが重要だと思います。
24)ミュージシャンとして望むこと全てを達成したのを感じますか?
Hitoki : まったく感じておりません。まだまだ途中だと思います。

25)あなたの人生、くろゆめ復帰の意味は?

Hitoki : 黒夢は僕の青春でありプレイヤーの路を決定させた大切なプロジェクトです。そんな青春を取り戻す事は出来ませんが黒夢のメンバーとして誇りを大事にしたいです。

26)チリ、または南アメリカの文化について知っていますか?
Hitoki : 申し訳有りません、あまり詳しくはありません。
27)あなた自身について何か話していただけますか? 例えば、音楽のテイスト、趣味、身長などについて。
Hitoki : いま現在 僕自身のソロの活動はアコースティックギターでの弾き語りとベースでのinstrumentalsをやっております。趣味はBass fishing 身長は171cmです。
28)この2015年の残された計画は?
Hitoki :  年末にCreature Creatureというバンドで演奏します。あとは自身の弾き語りをメインに活動しています。
29)インタビューの終わりに、全ての読者になにかメッセージはありますか?
Hitoki :  最後までありがとう!いつかどこかで僕の演奏を聴いてもらえたら嬉しいです!

 

 

kihito2

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